右手の忘備録

2014年、局所性ジストニアと診断されてからのあれこれを書いています。何かの参考になれば嬉しいです。しばらく放置していたのですが、また続きを書こうかな。

それから

 

右手の調子は特に変わりありません。

 

簡単な曲を弾いてみようかな、娘と何か連弾したいなと思いながら色々試しましたがやっぱり無理なんですね。日常生活では、今もシャンプーしづらいとかビンの蓋が開けづらい、雑巾絞りにくいとか…悩ましい事はあります。なのでとにかく無理をしないように気をつけています。

 

 

私の場合ピアノを弾く時のみではなく、こういった日常生活にも少し支障があります。一時は包丁を握るだけで違和感が走りました。

 

 

さて、先日ツイッターでチラッと見かけた記事

(以下引用)

 

病気になった方に対して、

「自分も同じ病気になったことあるからよく分かるけど大丈夫!」って励ますのは、相手を傷つけることがあるかもしれないから少し注意したいですよね。同じなのは「病名だけ」で、タイプや重症度、背景などが違うと治療も予後も何もかもが違う、ということがありますしね。

 

これを読み共感しました。

 

私は、手の不調を感じた時に色々な方々に隠さず話したり情報収集をしました。そこで「私はもっと深刻な病に侵されて生死を彷徨ったけど乗り越えたから」「いい病院知ってるけど効果が出るか出ないかは人それぞれで、効果が出たとしてもお金かかるけれど金銭的に大丈夫?」「右手弾けないのによく弾き合い会に来れるね。私なら絶対無理」とか。  

 

他にも様々なメッセージご意見を頂きました。

 

私の身を案じて気遣って言ってくださった事だと思います。ありがたいです。しかしながら、これには内心モヤモヤ。。当時はこんな風に言われるのは嫌だなぁとか思ってしまって。やっぱり自分の症状は自分にしか分かりません。生死に関わらなくても唯一の趣味を奪われた悲しみは計り知れません。同情してもらいたいわけでもないですが胸がとても苦しかったです。

 

 

中には余計なお世話と思ってしまうようなきつい言葉もあり、、、ちょっと精神的に辛かったのを覚えています。ピアノ関係で色々お世話になった方々が多く感謝は計り知れないのですが自分の中で精神的に、もうこれは無理かもしれない‼︎と思い自ら離れてしまいました。

 

 

うーん、、言葉って難しい

 

 

今思えば冷静になれなかった自分もいたので余計にモヤモヤします。私が大人になれなかったのかなぁとか。ただ、当時はとにかく病を受け入れるのが難しかった。ある日突然弾けるようになるんじゃない??って思ったりもしたし。今もですが。

 

今まで出来ていた事が急に出来なくなる。

どんな気持ちかわかりますか?

 

 

5年が経過しますが、今は弾けないしレッスンも行かない分コンサートへ出かけたり音楽聴いたり…私なりの音楽ライフを楽しんでいます。演奏会で新しい出会いがあったりと嬉しいです。

 

左手の演奏も挑戦してみようかな、と思ったり

ただこちらは決心がまた鈍りダメですね

やっぱり弾くなら両手で弾きたいです笑

今年はそれが課題かなぁ

 

 

それが出来たらまた人前で弾く日も来るのかな?

なんて考えたりも…全ては考え方次第で良くも悪くもなるんですね。マイナスをプラスに変えて生きる力、それが欲しいです。